熊切和嘉監督・中島裕翔インタビュー:「#マンホール」をホラー映画にする意図はなかった

本ページはこちらの記事の日本語訳です!

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原文の意図などを完全には汲み取れていないことはご承知おきください。

※※本編の核心にかなり触れている部分があるので(部分部分反転しないと読めないようにしていますが)注意です※※

 

 

熊切和嘉監督・中島裕翔インタビュー:「#マンホール」をホラー映画にする意図は無かった

中島裕翔さんは、自分の顔が知られていない街で自由に散策できることがとてもよい気分だと言う。日本で1メートル歩けば、たちまち黄色い歓声を上げるファンに囲まれる*。Hey! Say! JUMPのメンバーとして、有名なタレントとして、彼は静かな生活というものをすっかり忘れてしまっている。熊切和嘉監督の、シニカルかつスリラーに振り切ったホラー(好青年に見える男に災難が降りかかり、彼が本当の顔を見せる―しかしその「顔」は彼の物ではない―という内容[記事には直接書かれていましたが一応伏せます、反転でどうぞ])で、唯一無二で挑戦的な役を演じる彼を観ることはすなわち、非常に新鮮なことだ。

*In Japan he wouldn't last a meter without being surrounded by screaming fans. 直訳すると、「叫ぶファンたちに囲まれずに歩こうと思ったら、1メートルも持たない」みたいな内容になります とてもポジティブに訳せば黄色い歓声をあげるファンだし、若干の悪意を込めて訳せば絶叫するファンです 解釈はお任せで(笑)

私たちはBerlinale Palastで監督と主演にお会いする機会を頂き、全く予想の出来ない「#マンホール」について、狭い空間で撮影を行う難しさについて、そしてワンマンショーをハラハラの展開に仕立てる挑戦について、お話しを伺いました。

 

まずお二方に質問させていただきます。(オファーを受けるにあたって)岡田道尚さんの脚本のどの部分に惹かれましたか?

熊切監督:現代社会において、「狭くて限られた空間で、外界と繋がる手段としてSNSを使う」という脚本に惹き込まれました。自分にとって新しい作品になるという点で、惹かれました。

中島(以下敬称略):監督がおっしゃったように、狭い空間の中でもとにかく観客を飽きさせない仕掛けを見せ続けるという点で、「いかに観客の興味を惹き続けるか」ということが問題でした。この映画の川村は自分がこれまで演じてきた役とは大きく違いますし、僕にとって大きなチャレンジだと思いました。この役に入り込むことは非常に楽しかったです。

 

鶏と卵、どちらが先だったのでしょうか?熊切監督の構想がのちに脚本家によって描き起こされたのか、それとも脚本家のアイデアのすばらしさに惹かれて、撮影しようと決心されたのか。どちらでしょうか?

熊切監督:完全に岡田道尚さんのアイデアでした。彼はいつも観ている人を騙すような、先の見えないミステリアスな脚本を書いています。

 

限られた空間の中での撮影(カメラの動き)について関してお伺いしたいのですが、このような舞台の中でどのように撮られたのでしょうか?

熊切監督:僕たちは壁を外すことのできる倉庫で撮影を行いました。カメラを動かす必要があるときは1つの壁をずらし、元の画角に戻る時までにスタッフが壁を戻して、撮影が止まってしまわないようにしました。すべてがアナログでしたね。このようなセットが無ければ閉所の不快感を出せなかったと思います。キャラクターにとにかく重きを置いていたので、「逃げ場の無さ(no-way-out)」をリアルに再現する必要がありました。

 

「川村が当初紹介されていたような好青年ではないかもしれない」ということを最初に示唆したのは、トラブルに巻き込まれた若い女の子になりすましたシーンでした。このフラグは、その先に待ち受けている内容に備えて、入念に張り巡らせたものだったのでしょうか?

熊切監督:そうですね、そのシーンで描かれているのは、彼のある種賢い部分や悪い一面に加えて、彼が人の顔を扱う時の安易さ[伏せます]です。先の内容に向けて、非常に良いお膳立てになっていると思います。

 

今作は中島さんのこれまでの仕事の中で、最高傑作だと思います。脚本をご覧になった時には、(今までやられてきた役を踏まえた上で)自分にとって適役か悩みましたか?それとも単純に、今までとは完全に違う役に挑戦したいと思いましたか?

中島:川村の好きなところは、彼がいろいろな顔を持っていて、感情表現が激しいところです。彼の変化を通じて、観ている人は常に予期できない何か(=刺激)を得ることができます。この映画を観る中で、警告信号が飛び交って、「いいやつだと思っていた人が実はクソ野郎だった*」[伏せます]なんてことがあるかもしれない、と多くの人が気付けることが、僕は気に入ってます。彼はモンスター[伏せます]です。彼の嫌みっぽい人物像が好きです。彼の変化の過程はとても綺麗に、ショックなくらい驚くべきものとして描かれているので、それはかなりの挑戦でした。この役にどうアプローチするか、またどうやって彼の過激な面[一応伏せます]を表現するかをみんなで話し合いました。川村がどんな人物であるべきか、という熊切監督の明確なアイデアが無ければ、この役をやり遂げることができなかったと思います。監督が、僕のベストを引き出してくれました。だからだと思います[質問内容の中の「最高傑作」にできたことが]。狭い空間で非常に難しい役をやり遂げなくてはならなかったのですが、実際、監督のアドバイスのおかげでやりやすくなりました。

* 記事では***holeと書かれています 伏せられている部分はa**、直訳するとポムポムプリンにもついてるこれ→*になるので、公の場では伏せられることが多いです 意味としては物理的なものだけではなく、転じて人のことを侮辱する意味になります(日本で言う「う〇こ=クソ=最低な人」的なイメージ)

熊切監督:後はきっちり脚本に沿って、時系列順に撮影を進めたのもその手助けになったかもしれません。その意味で、感情を高めることや、段階的に変化していくことがやりやすかったと思います。

 

ジャンル特有の表現(お約束)*を使うことは意識しましたか?それとも、そういったものが連続したのは偶然でしょうか?

*原文ではgenre tropesです 下記のサイトだと、ホラーのお約束として「警察が無能」「どの人物も死ぬ可能性がある」「孤立した建物」が挙げられていますhttps://selfpublishingformula.com/genre-tropes-what-are-they/#:~:text=Tropes%2C%20on%20the%20other%20hand%2C%20are%20recurring%20ideas,readers%20might%20not%20even%20realise%20they%E2%80%99re%20in%20there.

熊切監督:もともとホラー映画にするつもりはなくて、それよりもブラックユーモアを効かせた、皮肉のこもったスリラーのような感じでした。観客が「#マンホール」をおどろおどろしいホラーとして捉えていると知ったのは、のちのことです。作りのいいホラー映画はすごく好きなので、それは問題ありません。

中島:蜘蛛や他の怖い生き物たちが僕の大事な共演者だったことは、強調しておきたいですね。

 

1人の俳優だけで、かつその俳優の素質に頼って映画を作ることは、たくさんの挑戦を伴いますよね。

熊切監督:とにかく彼1人に集中するしかありませんでしたが、そのことが映画に十分なクオリティーを与えたので、難しくもあり簡単でした。

 

監督は、映画のビジュアル面に関して具体的なアイデアはあったのでしょうか?それとも、撮影監督である月永雄太さんの技量に完全に委ねていたのでしょうか?

熊切監督:はい。具体的なビジュアルに関しては撮影前に話し合いましたし、カメラテストもたくさんしました。また、真っ暗闇で長編映画を丸々1本作るということも、チャレンジングだったので、「暗闇をどうやって可視化するか」ということがすなわち課題でした。なので、月から来る青色、雨の緑っぽいトーン、また、そこからくる暗い、傾きを加えたビジュアルを活用しました。

 

少し前に頂いたインタビューによると監督はテレビすらご覧にならないとのことなのに、この映画ではSNSが重要な役割を果たしているのが面白いですよね。監督は「現代化」されましたか?

熊切監督:SNSに興味ないというよりは、個人的にそれほど必要としていないというだけですね。でも「SNSが生み出す混沌」はこの映画の中で見せたかったことなので、それに対して、若いスタッフたちが反応しているのを見るのは面白かったです。[メディアへの関心について]それ以外だとテレビでは野球しか見ませんが、今回中島くんが僕の映画に出てくれたので、彼が出ている番組は時々観ます。

 

中島さんは日本では大スターですが、ほぼお忍びでベルリンにいらっしゃる気持ちはいかがですか?

中島:素晴らしいですね、日本では街で気づかれるので。多くの人にとって僕はアイドルですが、今の僕は俳優としてここにいるので、そうやって[人だかりができるアイドルとして]注目されないのは嬉しいです*。[ベルリンでは]違いますね。みんな僕を僕としてではなく、演技力で認知しているので、街の散策も楽しめます。サインを頼まれることもたまにしかありません。

*原文はI am happy to skip on that kind of attention 「そういう視線をスキップする(=とばす、免れる)」という感じです